column
前編 生まれ変わった憩の家
標茶と、それぞれの縁
隈標茶との出会いは1992〜93年ごろでしょうか。当時、標茶町長と親しかった作曲家の三枝成彰さんの声がけで、10人ほどの仲間で標茶を旅行することになりました。そのときに泊まったのが、かつての「憩の家かや沼」だったんです。そこで宴会をして、たらふく飲んで。建物全体の記憶はおぼろげですが、力強い景色や大きな露天風呂がとても良い思い出として残っていました。だから、今回携わるのがあのときの宿だったと知ったときは、神様に引き寄せられたような感じがしてとても驚きました。
鈴木私は、1993年に山梨県の清里で開かれたポール・ラッシュ祭で、現標茶町長の佐藤さんとお会いしたのが始まりです。ポール・ラッシュ祭は清里の草原の祭りで、約2,000haの大草原が広がる標茶の多和平でもこんな祭りを開きたいと、翌年には標茶高校の生徒を連れて来られたことを覚えています。標茶を初めて訪れたのは、1995年のことです。当時はカヌーツアーなどもなく、役場の方が自分で買ったカヌーに乗せてくれました。カヌーから湿原を眺めると、エゾジカがたまに姿を現すくらいの静寂な空間が広がっていて、大自然の力に圧倒されたことを覚えています。
2000年代に入ってからは、原さんとデザイナーの梅原真さんを誘って、カヌーに乗ったり西別川でドナルドソンというマスを食べたりもしましたね。それからしばらく経った2019年ごろ、「憩の家かや沼」の改修計画が持ちかけられたことを聞き、どうしようかと相談していたときに、町長から「隈さんも標茶に来たことがあるよ」と聞いたので、それならばと、原さん、隈さん、そして私も関わりながら進めていけたらということで始まったと思います。
原そうですね。鈴木さんに誘われて標茶に来たのは、もう20年ほど前になるでしょうか。鈴木さんは地域に咲く個性的な花を見逃さず飛んでいき、クリエイターという花粉を結びつける「みつばち鈴木先生」ですから、地域ならではのおもしろい営みに出会えるのだろうなと連れられて行ったんです。そのときは塘路湖から釧路川をカヌーで下りましたが、僕は非常に感動しました。ゆったりとした川の流れにまかせて、鏡のような水面をすーっと漕ぐだけで、ものすごく綺麗な大自然の中に滑り込んでいく。あの経験は、他の場所ではなかなか味わえないものだと思います。
しばらくして、もう一度釧路湿原を訪ねました。「低空飛行」という、日本の津々浦々を訪ねては映像と文章でレポートする基礎研究をしているのですが、その取材と、大学の学生たちとのゼミ合宿とを兼ねた滞在でした。そのとき、町長が「かや沼」改修計画の図面を持ってこられたんです。図面を見ると、すごく真面目なリフォームだったのですが、この雄大な自然を生かしたもう少し違う方法が考えられるかもしれないですね、というお話をしたのです。それから鈴木さんが隈さんを紹介してくださって、今に至っています。それぞれが標茶に惹かれてくる縁があったというわけで、これも鈴木みつばちが運んできた花粉の受粉例ですよね。
一つ気になっているのが、地域にはその地域のやり方があって、地域のものを遠くにいる人たちが触らない方がいいという考え方もあるのではないかということです。今回、僕らが触って大丈夫だったかなと少し心配していますが、どんな印象ですか?
鈴木標茶の人たちは、昔から外との関わりを作って刺激を求めてきたように思います。ポール・ラッシュ祭に出かけて草原の祭りを学んだ佐藤町長に始まり、町のCIマークをフランス人デザイナーに依頼したり、虹別ではシマフクロウ保護のために植林の会が作られて、講演やコンサートなどを通して交流が行われたりしています。外から刺激を受けないと、自分たちの良さにも気づけないですよね。かつての「憩の家」はわりと普通の印象でしたが、原さんと隈さんという外からの刺激が加わったことで、本当に釧路湿原にふさわしい建築物が誕生したと思っています。
時間が建築を育てる
原世界中の建築を手がけている隈さんにとって、「ぽん・ぽんゆ」はどんな位置づけですか。
隈正直に言うと、非常に難しい改修でした。既存の骨格がしっかりしていて、それでいてまわりの風景は繊細なので、ちょっと直すくらいでは、風景と折り合いのつくものができないと感じていました。既存の骨組みに合わせてざっくりと仕上げた建築に、原さんの「ぽん・ぽんゆ」というネーミングが新たなレイヤーとして積み重なることで、良い形に仕上がりましたよね。ここにさらに時間のレイヤーが積み重なっていくと、より良いものになっていくんじゃないでしょうか。完成してすぐには目の前の風景に叶わないけれど、時間が経って風化してくるとバランスが取れてくるかなと思っています。素材としては、ふだん僕や原さんが立ち向かうものとしては難しかったですよね。
原そうですね。「憩の家かや沼」という名称や内装を見たときに、けっこう手強いなと思っていました。ですが、手強さを逆手に取るおもしろさもありますよね。たとえば客室は、細かく分かれていた部屋を大括りにしているから、取り除けない柱が部屋の中に残っていて。
隈改修的なものをいろいろやってきたけれど、柱の問題もあり、客室はある意味で一番難しかったです。
原館内の柱に「なぜこの柱が残っているか」という隈さんの解説をつけたいですね。金属プレートのようなもので貼り付けておくと、「なるほど、これは隈研吾がこういう考えで残した柱なんだ」とわかって、みなさん納得されると思うんです。
隈そうですね。非常に困難なものと格闘して成し遂げたという、ある意味アーティスティックなプロセスになりましたから、それを記録するような解説があったらおもしろそうですね。
原「ぽん・ぽんゆ」は、阿寒方面に行く人たちがその途中に寄る拠点としても良い存在なんじゃないかと思っています。釧路湿原は、訪れやすくなるほど、より自然の素晴らしさが知れ渡っていくはずなので、泊まれる拠点ができたというのは大きな変化になるのではないでしょうか。僕らは、「上手くいかない」じゃなくて「成功するまでお手伝いする」という約束をしているので、「ぽん・ぽんゆ」に関しても、成功するまでしつこく向き合おうと思っています。
隈こういう改修の場合、完成と同時に100%に到達できるものではないので、時間が経つにつれて良くなっていくのを見届けるというスタンスは、デザイナーのあり方としてこれから一つのモデルになっていくと思います。鈴木さんと出会えたことで「ぽん・ぽんゆ」に関わることができて、とてもおもしろかったです。
原そうですね。鈴木さんの花粉として動いて、ここまでやりきれたプロジェクトもなかなか珍しいので、良い経験になりました。鈴木さん共々、オープンしたらぜひとも時々行って確認したいですね。